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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

マーロン・ブランドの晩年 シェイプオブ

マーロン・ブランドの晩年

 あれほど栄耀栄華を極めたのに、マーロン・ブランド(80歳で没)の晩年は惨めなものであったという。


Mブランド1


 マーロン・ブランドの友人で、自宅が隣同士であったジャック・ニコルスン(もう69歳だそうだ)が、マーロン・ブランドのビバリー・ヒルズの大邸宅を購入して修復し、マーロン・ブランドの子息に役立てようと考えたが、邸宅の保存状況が悪く(カビだらけ)、また、子息も興味を示さなかったため、止むを得ず取り壊すことになったという。

 マーロン・ブランドは、晩年子息の起こした殺人事件の賠償問題などを抱え、最後は自宅の電気代さえ払うことが出来ず、自宅の庭に電気ウナギを飼いたいと真顔で語るなど、その落剥(らくはく)振りが話題を呼んだのは、記憶に新しい。

 彼の真骨頂は、内面から役に成りきるという、それまでの大袈裟な演技のハリウッド・スターにはない凄みであった(2度のオスカー受賞)。特に、表情を変えないで口ごもりながら喋る演技は秀逸で、東映の実録路線のヤクザ映画に出演して欲しいと思ったものである(安部徹に似ていなくもない)(写真はラストタンゴ・イン・パリ(72年)左はマリア・シュナイダー)。


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 さて、そのマーロン・ブランドは、死ぬときに何を考えたのだろうか。人生の絶頂期のことを考えたのだろうか、それとも今際の際の不幸な自分のことを思いながら死んだのであろうか。死ぬときに幸せであるのが良い人生、死ぬときに惨めなのが不幸な人生だったとすると、マーロン・ブランドは不幸なまま死んだことになるのか。

 おいらなどは小心者であるから、息を引き取るときは、良い人生だったと思いながらあの世に召されたい。死ぬときに幸せであれば、結局良い人生であったことになるのだ。人生こそ「終わり良ければ、全て良し」に違いない。



映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を観て

 おいらの映画情報は、自称映画評論家のS氏から入手することが多い。


サリー・ホーキンス.jpg


 そのS氏が太鼓判を押してくれたので、いそいそと封切り間がない「シェイプ・オブ・ウォーター」(2018年3月1日日本公開)をこの日曜日に観てきた。

 何せ、第90回米アカデミー賞作品賞を獲得したくらいである。

 事前情報なしに臨みたいところだったが、予告編を観ていたので、期待はできた。

 まず、昨年9月に行われたベネチア国際映画祭では金獅子賞を受賞し、前評判も非常に高かったのである。

 しかも、監督がすごいわなぁ。「パンズ・ラビリンス」「パシフィック・リム」などで知られるギレルモ・デル・トロ監督の最新作である。

 ということで臨んだが、おいらはこの映画に不満である。

 期待が高すぎたのか、確かによくできた映画ではあるのだが、ストーリー展開が重いのである。映画の途中で息苦しくなってしまうのである。

 それは何故かと考えたのだが、この映画はファンタジーなのか、サスペンスなのか、中途半端なのである。

 あまり書くとネタバレになるので控えるが、半魚人との幻想的なラブストーリーに仕上げるのに無理があると感じたのである。

 もし、ラブストーリーなら最初からファンタジー映画として設定すればよいのだが、前半からサスペンス仕立てで始まり、途中コメディやミュージカルになったりするので、こちらは戸惑うのである。

 また、あえてエロシーンを入れているのもこの監督の趣味なのだろうか。ストーリーの展開から伏線を狙っていたのは理解できるが、必然ではない(だから、画像に修正が必要となった。R15指定)。

 とまれ、エンディングはさすがであり、一見の価値のある映画には違いない。

 成功した要因の一つは、時代を1962年に設定したことだろう。また、声が出ない主人公、ゲイであるわき役、友人の黒人などマイノリティが事実上この映画の主役とした点も見逃せない。

 なお、この映画で極悪非道の軍人役を演じるマイケル・シャノンは当たり役となった。おいらは若き日のトミーリー・ジョーンズを思い出した。この役者は人気が出るに違いない。


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